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パラリンピック訪問

パラリンピックシドニー大会を観戦して
川上淑江


 2000年10月29日、今世紀最後のパラリンピックを観戦のためシドニーの五輪スタジアムに向かった。ジャカランダの薄紫色が桜のように満開となった南半球の春先のさわやかな日であった。
 障害のある人々のスポーツの祭典として史上最多の122カ国、地域から4000人近い選手が参加し、さまざまなハンディに負けずに熱戦を繰り広げた。メダルランキングでオーストラリアは1位に輝く記録を残している。
 昼間の暑さの中で、フットボールとゴールボールの決勝戦を二班に分れて応援した。私が観戦したフットボールは、決勝戦でウクライナとロシアが対戦。2対3でロシアに軍配があがった。大歓声を浴びながら競技するひたむきな選手の姿に感動する。障害を持っている人が競っているとは思えない激しさがある。
 リハビリ目的に始まった障害者のスポーツがこれ程競技性の高いものに発展しているとは思わなかった。勝ち抜くために、強い精神力と自己管理をしながら自分の限界に挑戦している。「無限の可能性」という言葉が現実のものとして見せつけられたような気がする。みのりある社会参加を果たし、民族を超えた世界中の人々の感動を呼ぶにふさわしい。
 オーストラリアには競技者を目指す知的障害者のために奨励金制度があるという。全国組織の知的障害者スポーツ・レクリエーション協会が行政や団体から資金を調達しているが、この活動もボランティアで行われている。
 このシドニー大会は大勢のボランティアの参加で成り立っている。一つの老人福祉施設においてさえ3500人のボランティアが関わっているくらいだ。
 大勢の人々がノーマライゼーション社会の実現に向かってボランティアの力が注がれ、発揮されていてすごい。精神性と実行力が学校教育に直結して重要科目に位置づけられている。幼い子どもたちから高齢者まで「私に何かできることはありませんか」と意欲的なものが備っており、会場のあちこちでその姿が見えた。多民族で130の言葉を持つ人々にそれぞれの母国語でライフラインのテレホンサービスを行うお国柄からいって日常的な基本姿勢なのかも知れない。
 夜、再び閉会式会場五輪スタジアムに来た。障害を持つ人との共生が進むオーストラリアにふさわしく、この大会は五輪とパラリンピックの協力関係がより進んだとされている。閉会式は五輪からパラリンピックまでを締めくくる「シドニー2000」の閉幕イベントとして行われ盛大なものであった。夜空に赤く燃える聖火はひときわきらめき、オーストラリア国歌が流れ、花火の連続打ち上げで最高の盛り上がりとなった。
 国際パラリンピック委員会のステッドワード会長は入場券の販売数が120万枚を超えたと記録的な観客とあわせ、世界的なテレビの放映を報告し、障害者スポーツが国際的な輪を広げていることを強調して大会の成功を評価した。スタジアム全体が各国の選手と観客で埋めつくされ、声援と拍手でそれに応えた。
 閉会が宣言され、聖火が消えてパラリンピック旗はアテネ市代表に引き継がれた。会場いっぱいに彩光がかけめぐり、大小の風船が手から手へ飛はねて回り、宙に遊び、童心にかえって世界中の人々が何千、何万個の風船をついて余韻を楽しんだろうか。
 心地よい興奮で、パラリンピックの感動を肌で感じることができ、障害者スポーツへの認識を深めるよいチャンスであった。